助けられる身

姉憎し母の介護をするわれを助けてやると言はんばかりの

 

一人っ子は別として、親の介護は兄弟姉妹全員の問題であるはずだ。だが、現実は誰か一人が主たる介護者となって、他の者は協力者となる場合が多いのではなかろうか。いや、協力者ならまだいいが、金は出さずに口だけ出す有り難迷惑な助言者の場合や、口は出さないかわりにまったく手を貸そうとしない傍観者の場合だってあるだろう。

わが家の場合、姉は協力者というよりも共同介護者というべき存在で、考えようによっては私よりも姉の負担のほうが大きかったかもしれない。それでも時に姉のことばの端々に「手を貸してやっている」というようなニュアンスが感じられることがあって、それがなんとも憎らしかった。介護というものは、きれいごとだけでは語れぬものと思う。

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お母さんと咲ける菫に語りかけ

 

いつの頃からか、私はすみれの花のイメージを母に重ねるようになった。すみれの花は可憐でかわらいらしく、か弱く見えるが、植物としてのすみれは、アスファルトの裂け目にも生えるたくましさがあり、また冬にも花を咲かせることもあり、けっして弱い草花ではない。

いくつもの病気を抱えながら、九十三歳まで生きた母は、菫の可憐さとたくましさを併せ持った人だったように思う。また、すみれ色は母の好きな色でもあった。

わが家の庭では、春になるとすみれが花を咲かせる。母が亡くなって初めてむかえた今年の春、すみれの花を見たとき、われ知らず「お母さん」と語りかけていた。

 

 

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わが家も減塩!

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介護終え皹のなきわが手かな

 

ここ四、五年あまり、冬になると毎年のように皹が出来ていた。私の場合、手の指の付け根の関節や中の関節や親指の指先のところがよく裂けた。

皹は皮膚のバリア機能が低下することで起こるという。母の下の世話などで頻繁に手洗いやアルコール消毒をしていたから、手の皮脂が洗い流されてバリア機能が低下したところへ、冬場の空気の乾燥や気温の低下が重なって、皹が出来やすくなっていたのだろう。

昨年の9月30日に母が亡くなり、むかえた冬は、ほとんど皹が出来なかった。私の皹は、介護をしていた証だったのだ。そう思って、皹のない手を見つめると、なんだかさみしかった。

 

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ピーマン

ピーマンのやさしさ種をくつろがす

 

一昔前、ピーマンという語は「中身が空っぽ」という比喩で使われた。「頭がピーマン」「話がピーマン」といった具合だ。

しかし、このピーマンの空洞こそ「大いなる空っぽ」である。そして、ふと母はピーマンのような人だと思った。「幸彦、太陽っていうんは一個しかないんか?」などと子どものようなことを尋ねる人で、世の中の常識に対して驚くほど無知なところがあり、その意味で空っぽなところがある人だった。だが、そのお陰か私は母から強い束縛を受けたり、過度な期待をかけられたりすることがなく、自由な生き方をさせてもらえた。

まさに母はピーマン、私はその広い懐の中で育てられた種であったと思う。

 

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