明易

明易し夜通し喋る母手強

 

いま母親を施設に入れて介護している友がいる。ところが、ご母堂からは時間かまわず携帯電話がかかってくるという。これでは気の休まるときがあるまい。

自分はどうだったか。母と一緒に暮らしてはいたが、四六時中気の休まるときがないという状態はなかったように思う。もっとも私の場合、母がまだ活発な頃は父や姉と一緒の介護で、一人で母の相手をしているわけではなかったので、そのお陰もあるが・・・。

それでも父が亡くなって、母の隣に寝るようになってから、月に一、二度母が夜通し訳の解らぬことを喋り続けることがあって、これにはお手上げであった。短夜の頃などは何とか眠ろうと思っている間に空が白んできて、明るくなってから二時間ほどまどろむ、そんな日もあった。

 

 

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小匙

五グラムでも十グラムでもと食細き老母の口に差し出す小匙

 

9月は母にとって鬼門であった。87歳・88歳の9月に徐脈で2年続けて入院し、その翌年90歳になった年は8月から9月にかけて骨折で入院した。

だが、その後2年間無事9月を乗り越えてきたので、食が細いことは心配ではあったが、体温や血圧・脈に異常がなかったので、あまり深刻には考えていなかった。しかし、いま思うと、もう身体が食事を受け付けないくらい弱ってきていたのかも知れない。

「ああ、今年も無事9月を乗り越えられそうだ」と思った、9月29日から母は体調を崩し、翌日の9月30日になくなってしまった。やはり母にとって9月は鬼門であった。もうすぐ母の一周忌だ。

 

※ この作品は第26回NHK全国短歌大会入選作品集に掲載されています

 

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薄氷

亡き母の夢見し朝や薄氷

 

亡き父の夢はよく見るのに、亡き母の夢を見ることは少ない。むしろ母が生きていたときのほうが、母の夢をよく見たような気がする。そのうえ、どういうわけか母の夢はあまりよく覚えていない。父の夢は今でも覚えているものがいくつもあるのに、母の夢で覚えているものはほとんどない。母の夢で覚えているものは、父と二人で出てきたり、姉と二人で出てきたりする夢ばかりで、母一人が出てきた夢はなぜか見てもわすれてしまう。

実は、今朝も母の夢を見た。目覚めたときはまだ外は暗かった。そのときは確かに夢の内容を覚えていたはずなのに、日が昇る頃にはもう夢の中身が思い出せない。なんとももどかしい。

 

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冬銀河

冬銀河われの使命のまだ見えず

 

私は、生まれてきた以上は人にはなんらかの使命があるのではないかと思っている。それを考えることは大変なことだが、母を介護している間はそれをわすれていられた。いま自分のすべきことは母に添うこと。そう自分を納得させられたからだ。

しかし、母が亡くなると、一時保留にしていたこの難題をまた考えねばならなくなった。自分はいったい何のために生きているのか、この先いったい何をすればいいのか。若い頃よりも還暦を過ぎたいまのほうがより見えなくなったような気がする。

もう先延ばしする時間もそんなにはないのだが、とりあえずいまは母が亡くなるまでの家族の物語を小説という形で記すこと、それだけを遂げておきたいと思い、毎日書き続けている。

※ 「喜怒哀楽の俳介護+」で 連載小説『私の 母の 物語』  四十六 (284)|@haikaigo を掲載中

 

 

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