露の夜や亡き人ばかり母呼びて

 

母が眠ってくれているときが自分の時間だった。一人では起き上がることさえ出来ない。楽しみと言えば、甘いものを食べることぐらいしかない。そんな母にせめてさみしい思いをさせまいと出来るだけ傍にいようと考えていたが、結局は自分の時間が欲しくて、眠っている母が目を覚ました時など、もう少し寝ていてくれたらと思ったものだ。

目を覚まして傍に誰もいない母が、自分に近しい人を片っ端から呼ぶことがある。亡き祖父母、亡き夫、亡き姉、亡き妹。生きている私が呼ばれることはほとんどない。

母もさみしかっただろうが、私もさみしかった。だが、いまとなっては私にさみしい思いをさせるのも、そのさみしさを癒やしてくれたのも母で、逆に私は母のさみしさを癒やすことは何一つ出来なかった。

 

<広告>

わが家も減塩!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

遠泳

岸見えぬ遠泳のごと介護とは

 

親の介護をしていて心が折れそうになるときは、終わりが見えないと感じるときではないかと思う。それはまるで岸の見えない遠泳をしているような感覚だ しかも岸にたどり着くということは、すなわち介護している親が死ぬということなのである。心が折れそうになるのも無理はない。

それでも多くの人は、岸に着く前に溺れてしまう不安と闘いながら泳ぎ続ける。終わりが見えないからといって、ぷかぷかと海に浮かんでいるゆとりは介護にはない。

もっとも私の場合、泳ぎ着いたというより流れ着いたというようなものだが、友人たちの中にはまさにいま遠泳をしている人たちがいる。どうか無事に泳ぎ切ってくれることを祈るばかりだ。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

初音

体温計の音待ちをれる初音かな

 

毎朝母の体温と血圧と脈を測りそれを記録するということを約5年続けたが、母の死とともにその日課も終わった。エクセルで表を作成し、手書きで記入したその記録紙は約5年分で60枚余りある。もう母も亡くなってしまったので捨ててもかまわないのだが、なんとなく捨てがたくて、いまも残してある。

あれは母が亡くなった年の春のことだったか。母の脇に体温計をはさみ、体温が検知できた知らせのピピピピという音を待っていたら、どこからか「ホーケキョ」という鶯の鳴く声が聞こえてきた。それはその年初めて聞いた鶯の鳴き声であった。

介護に追われてときに季節さえもわすれそうになったときもあるが、その都度木々や花や鳥や虫たちが季節を思い出させてくれた。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

寒さ

出づるより母思はるる寒さかな 

 

不整脈のある母の心臓の負担をすこしでも減らそうと、わが家は春や秋の一、二ヵ月を除いては、ほぼ一年中冷暖房をつかって室温を一定に保っていた。

それでも外気温の変化は、少なからず心臓に影響を与えると訪問看護師さんからうかがっていたので、急に暑くなったり寒くなったりした日は不整脈が出ないかどうか心配だった。

この日仕事に行くために、暖房のきいた家の中から外へ出たら、思いのほか外が寒かった。ふと母のことが心配になって、後ろ髪引かれる思いで仕事に向かった。

母亡きいま、そんな心配はなくなったが、心配せずに済むことがなんともさみしい。

 

<広告>

わが家も減塩!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村