数の子

数の子を食ふたび父の逸話かな 

 

 いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けている。母が認知症になってから、亡くなるまでを家族の歴史もふくめて書くつもりでいる。ちょうどここ2、3日は父にまつわることを書いているときなので、今回はこの句を掲載することにした。

父と母が分校の教員用住宅に住んでいたころ、当時まだ高価だった数の子をお正月のおせち料理の一品として買った。新年に友人が訪ねてきたので、父は酒の肴に数の子を出すようにいった。すると、母は数の子をあるだけ出してしまって、友人はそれを全部食べてしまい、父は楽しみにしていた数の子をすこししか食べられなかった。

父は正月に数の子を食べるたびにその話をした。いかにも母らしい逸話だ。

 

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さばが好き!

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爽やか

爽やかに母来し方をわすれけり

 

四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10年ぶりにお会いして、こんな話をうかがった。

作家の田辺聖子さんがこうおっしゃったという。人には地金というものがあって、一生の中で地位も名誉も財産も実績もあらゆるものが剥がれ落ち、その地金が出るときがくる。そのときに、その人の真価が問われるのだが、残念ながらそれは生まれつきのもので努力では身につけられないものだと。

認知症が進み、自分の過去も子どもである私のこともわすれてしまった母との暮らしは、まさに母の地金に触れた数年であった。

母の地金は美しかった。哀しみが募ると知りながら、私が母のことを書かずにおれないのは、母の地金の美しさゆえかも知れない。

 

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わが家も減塩!

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汗疹

わが手抜き母の汗疹となりにけり

 

母の生前、週一回訪問入浴と訪問看護に、週二回ヘルパ―さんに来てもらっていた。入浴の日はもちろんだが、訪問看護師さんやヘルパーさんが来てくれる日も清拭をしてくれるので、母の肌は九十歳を過ぎた老人とは思えないくらい潤っていた。ただ、冬場の乾燥はそれで防げたが、夏場は乾燥しないかわりに湿疹などできやすく、これは週三日の手当では防げないこともあるので、私もできる限り母の身体を拭くようにしていた。そのときに、母の身体に湿疹やあざがないかなどしっかり見ているつもりでも、気づいていなかった汗疹やあざを訪問看護師さんやヘルパーさんから指摘されることも少なからずあった。

生きている身体は日々変化する。母の身体に表れた汗疹は、母が生きている証でもあり、母を介護する私の手抜きの証でもあった。

 

※ この作品は第26回NHK全国俳句大会入選作品集に掲載されています。

 

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菫程な人

菫程な小さき人とはわが母のことなり母が笑めば春なり

 

「菫程な小さき人に生まれたし」という夏目漱石の句の中の「菫程な小さき人」とは、世のしがらみを離れ、菫のようにひっそりと生きる人との解釈があるようだ。

この解釈に拠るなら、認知症になって姉や私のことさえはっきりとは認識出来なくなった母は、まさに「菫程な小さき人」であった。病の痛みやさみしさはあったかも知れないが、世のしがらみはもう一切気にする必要はなくなっていたというか、そんな意識ももう持ってはいなかっただろう。

その母の笑みは私にとっては春そのものだった。母が亡くなってはじめての春。母の笑みのごとくに咲いた菫を愛でる。

 

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